■ 西岩手山における水蒸気爆発の可能性と今後の防災対応について ■
10月15日気象庁で開催された「第93回火山噴火予知連絡会」での岩手山に関する見解は以下の通りです。
・西岩手山で発生する地震は、2001年以降、頻度も規模も小さくなり、引き続き低い状態です。
・東岩手山では、震源の浅い地震の少ない状態が続いています。
・広域的には、収縮の地殻変動が観測されています。また、黒倉山付近では局所的な地殻変動が続いています。これらの変動は、いづれも鈍化しています。
・火山ガスの組成には、火山活動が2001年頃から低下に転じたことを示す変化が観測されています。
・姥倉山から黒倉山の噴気活動は、やや活発な地域もありますが、全体としては低下傾向にあります。
・これらのことから、火山活動は全体としては低下していると考えられます。
前回は、<これらのことから、火山活動は全体として低下していると考えられますが、西岩手山では小規模な水蒸気爆発は発生する可能性が依然として残されています。>
との文がありましたが、今回は、「水蒸気爆発の可能性」との文言が削除されたことになります。
1、西岩手山における表面現象の推移
西岩手山(大地獄谷、黒倉山、姥倉山一帯)では、1999年春頃から笹枯れや新噴気孔の出現など表面活動が活発化し始めた。同年5月29日に黒倉山山頂の噴気が一時的に強まり、注目を集めた。その後、黒倉山山頂、大地獄谷など既存の噴気が強まると共に、黒倉山〜姥倉山北斜面および南斜面、分岐から姥倉山方向、黒倉山西側裸地から西北小沢、大地獄谷西小沢などに笹枯れの区域が拡大し、多数の新噴気孔が出現した。また、黒倉山〜姥倉山北斜面の樹林地帯では樹木の立ち枯れも進んだ。これら、表面現象の活発な区域は、東西約1.8km、南北約700mと広大な範囲に及び、確認されただけでも100箇所以上の新噴気孔が表われている。
西岩手山における噴気はその組成と温度の点で、大地獄谷と西小沢から西側で異なっている。大地獄谷の噴気は、硫化水素、二酸化硫黄、塩化水素、二酸化炭素などを含んでいるが、西小沢から西側の姥倉山付近までの噴気は、ほとんどが水蒸気からなっている。いづれも、同一のマグマ起源のガスであるものの、西側のガスは浅部に存在が推測される熱水貯留層で水溶性のガスが水に溶けて、水蒸気のみが噴出している可能性が高い。そのため、噴気温度も大地獄谷では100°以上と高温であるのに対し、西小沢から西側では沸点を越えず最高でも97°程度にとどまっている。
大地獄谷の主噴気孔には硫黄の尖塔が発達し、周辺には昇華硫黄が飛散している。硫黄の飛散は、1999年11月頃から広範囲かつ活発になったが、2001年2月以降目立たなくなた。主噴気孔の温度は、以下のように変化している。
1998年6月2日 135°
7月24日 134°
9月10日 135.6°
1999年5月12日 143°
2000年9月7日 149°
2001年8月27日 134°
2002年9月18日 128.2°
10月3日 125°
すなわち、噴気活動が活発化した1999年から2000年には、1998年に比して15°程度の温度が上昇した。火山ガスの成分比からも、同時期に活動が活発であったとされている。
監視カメラのビデオ映像の解析による大地獄谷の噴気ランク(日別最高ランク)は、解析を始めた2000年1月以降、変動はあるものの概ねランク5以上で推移してきたが、2002年4月以降ランク5以上がほとんど見られなくなっている。2001年7月〜8月にも低下した実績があり、季節的な変動の要因もあると考えられるが、最近は低下傾向にあるように見受けられる。
黒倉山山頂(CH1)の噴気温度(以下月別最高温度)は、測定を開始した1999年10月の94.4°から2000年4月には96.6°に上昇したが、その後やや低下し2002年8月は93.8°(現在欠測)である。これは、山頂全体の噴気温度が低下したというよりは、測定地点の噴気の勢いが弱まったためかもしれない。黒倉、姥倉中間部(CH2)は測定開始の1999年10月から現在まで97°と変わらない温度を維持、分岐(CH3)も96.5°と変化はない。分岐から姥倉山方向のCH5は、2000年2月の73.7°から上昇を続け2002年7月には88.8°まで上昇した。(現在、87.4°)
黒倉山〜姥倉山北斜面の噴気孔温度は、2000年9月7日に測定された数ヶ所(95〜96°)について、2002年8月22日に再測定したが、ほとんど変化していないことが確かめられた。
松尾村柏台からの定点観測では、黒倉山山頂の噴気ランク(日別最高ランク)は、観測を始めた1999年5月当時はランク1〜3程度であったものが同年9月以降はランク5以上が表われ、2000年4月以降は最高ランクの8が頻発するようになっている。2002年になっても日別の最高ランクは高い状態が続いているが、弱い状態の継続する時間が長くなっているという点では、頭打ちからやや低下の傾向にあるとみなされている。
2、西岩手山の表面現象の現状の評価
大地獄谷の主噴気孔の温度は、1999年から2000年に比して15〜20°低下し、1998年当時に戻っている。火山ガスの成分比からも、同期間に活動が活発であったと評価されているが、2002年10月3日に採取したガス分析(東京工大、平林順一教授)の結果、大地獄谷主噴気孔では、SO2/H2Sの比率などが昨年8月に比してさらに低下、姥倉〜黒倉稜線部のCH2では、H2、CO2などが減少し、いずれも1999年、2000年に比して低下した昨年よりもさらに活動度が低下したと評価される。
水蒸気を主とする西小沢から姥倉山にかけての噴気温度は、噴気群が出現した当初と変わらず沸点に近い温度を示し、しかも、姥倉山方面では局所的になお上昇傾向にあり、 地熱兆候は広範囲で継続している。しかし、大地獄谷、黒倉山山頂、北斜面などの噴気の強さは、弱い状態が長く続くようになり、また、表面現象の平面的な拡大傾向もほとんど見られなくなった。
すなわち、1999年5月以降、右肩上がりで活発化した西岩手山の表面現象は、活動が活発化する以前の状況にはほど遠く、なお高いレベルにあることに留意すべきであるが、頭打ちからやや低下の兆しがあらわれつつある状況と評価される。
3、水蒸気爆発の可能性
西岩手山の表面活動は、1998年に山頂直下から上昇し西側に移動したマグマの熱が若干の時間遅れをもって地表に到達してもたらされていると推測されており、また、1999年以降新たなマグマの貫入は生じていないと考えられている。1998年春から夏にかけて顕著だった山体の南北への伸張は収縮に転じ、また、三ツ石山付近に想定された膨張圧力源による隆起も沈降に変わっている。これらのことから、当面、西岩手山の地下の蒸気、熱水貯留層に地下からの熱の急激な供給増は生じていないものと考えられる。 水蒸気爆発のメカニズムとして、加圧沸騰型、減圧沸騰型および噴気通路の閉塞型などが考えられる。表面現象がなお活発な状況の中で、水蒸気爆発の可能性がゼロになったとの断言はできない。1997年8月16日秋田焼山で発生した水蒸気爆発のようにほとんど事前兆候なしに発生する場合もありうる。しかし、岩手山ではマグマの供給から4年以上を経過し、表面現象が右肩上がりで活発化していた時期にも爆発が起きずに推移してきたことを鑑みれば、今後、加熱沸騰型の水蒸気爆発が起きる可能性は非常に小さくなってきているとみなしてさしつかえないものと考えられる。
減圧沸騰型は地滑りなど表土の移動で地下の圧力が減少して沸点が低下して水蒸気爆発が発生するタイプで、1999年5月11日、秋田県の澄川温泉での地滑りで発生している。(但し、浜口博之教授は、初めに水蒸気爆発が生じたとの認識) 岩手山では1998年8月以降、黒倉山山頂部が下倉山からみて遠ざかる方向に十数cm移動していることが国土地理院のAPS(光波測距)で確認され、黒倉山の崩落に伴う減圧沸騰型の水蒸気爆発の可能性が危惧されてきた。しかし、原因などは不明であるが、黒倉山山頂の局部的な変動は2002年春以降は鈍くなる傾向が見られる。それ故、減圧沸騰型の水蒸気爆発の可能性も非常に小さくなってきていると考えられる。
但し、いずれの場合でも、自然現象に100%という保障はありえないことを心しておく必要はある。とくに、噴気孔の目つまりなどによる泥や高温熱水の飛散などは通常の地熱地帯でも発生する可能性のある現象である。水蒸気爆発への言及がなくなったことは、100%の安全を保障するものではなく、通常の火山地帯での一般的な危険度(リスク)の範囲内に近付いてきたことであることに留意すべきである。安全対策の進んだ山であっても、天候の急変、土砂の崩落、人為的ミスなど遭難する危険性は一定の比率で存在するし、沈静化していない火山では突発的な火山活動による災害の可能性は同様に存在するのである。
4、西岩手山での今後の防災対応
水蒸気爆発の可能性がきわめて小さいと評価されても、表面現象の活発な区域を不特定多数の一般人が通行するためには、安全対策が必要である。
分岐から黒倉山方面の稜線部の裸地で最高97°と地温が高く、不用意に地面に接すると火傷をおいかねない。しばしば強く噴き出す噴気に接しても同様である。地下が空洞化している可能性もあり、踏み抜くと高温の蒸気や熱泥に接することにもなる。また、分岐から姥倉山方向の登山道上には複数の噴気孔が口をあけ、万一足を踏み入れると、高温の熱泥で火傷をおうことになる。
黒倉山山頂付近は亀裂が発達し、崖面に近付くと小規模な崩落など引き起こす可能性がないとはいえない。
そのため、姥倉山〜分岐〜黒倉山間の登山道は、木道や防護柵などによる安全対策を実施する必要がある。また、大地獄谷では有毒な二酸化硫黄や硫化水素などのガスが噴出しており、谷の周辺を登山者が通過するのは危険である。七滝コ−スは、大地獄谷をさける形での登山道の付け替えなど(たとえば筆者が提案している佐保沢コ−ス)行なう必要がある。既存の登山道も5年間の規制のため、荒れ方が激しく、開放には整備が必要である。
水蒸気爆発の可能性がきわめて小さくなったことを受けて、2003年に上記方針での安全対策と登山道の整備などを行いつつ、2004年の山開きから、一般者への規制緩和を目指すことで県や関係町村で協議を始めることが望ましいと考えられる。
活動活発化から4年半、近い将来の沈静化を念頭に、岩手山の火山防災は全山の入山規制の緩和を目指した新たな段階を迎えることとなるが、表面現象はなお活発であり、研究者から100%安全のお墨付きがだされる性質のものではないことも十分理解のうえ、安全対策を進めてほしい。
5、沈静化への道程
岩手山で発生する火山性地震は、1998年6月の月1806回をピ−クに減少し、最近は100回以下で推移している。また、地殻変動も落ち着いた状況にあり、山体の南北への伸張も収縮傾向に転じ、三ツ石山付近の地下に推定されている圧力膨張源によるふくらみも収縮に変わっており、今回の一連の火山活動は大局的には沈静化に向かっているものと推測される。
但し、通常は年に数回程度しか発生しない火山性地震は、減少したとはいえ月に数十回発生しているのは平常の姿ではない。また、マグマの供給源とも考えられるモホ面付近での地震が、2001年11月には1998年8月以来3年余ぶりに月20回を越えるなど、月5〜10回発生している。また、山頂直下数〜10kmとやや深部での低周波地震は2002年4月に1998年1月に観測を始めて以降最多の月32回を記録、同年6月にも18回を数えるなどおさまる状況にない。沈静化すなわち今回の一連の活動が活発化する以前のレベルには戻っていないことに、特に留意すべきである。幸い、震源の浅部への移動など生じていないので、活動が新たな段階に入ったとは考えられないものの依然注意深い監視が必要である。
東岩手山については、これらの現状をふまえ、緊急通報装置の設置など安全対策の三要件を整備し、2001年から入山規制の一時緩和を行なっているが、沈静化(評価がむずかしいが、例えば、東側の低周波地震の発生がなくなって半年あるいは1年程度経過したらそういえるかも・・)しない状況で西岩手山の入山規制の緩和を実施する場合には、東側同様の緊急通報装置の設置など安全確保の要件を満たす対策を計ることが必要になるものと考えられる。安全対策については、「岩手山火山災害対策検討委員会」での検討も行なわれることになろう。
これらの点を考慮に入れ、活動の推移を見守りながら必要な安全対策を実施しつつ、規制の緩和を臨機応変に進めていくことになるものと考えられる。もちろん、登山者に関する対応の他、監視・観測や火山情報の発信、火山防災知識の啓発や避難訓練の実施など地域防災の対応も従前同様の体制を堅持し進める必要があるのはいうまでもない。
そして、もし、活動が再度活発化した場合は、入山規制の復活はもちろん、これまで構築された防災体制を緊急に立ち上げて対応を図ることになる。
2002年10月16日「第22回岩手山の火山活動に関する検討会」における協議メモ
岩手大学工学部 斎藤徳美、(個人的な思いで統一見解ではありません。)