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岩手火山の1999年からの噴気活動と東西性開口き裂群


  土井宣夫 斎藤徳美 土井小枝子 野田賢 越谷信 沼宮内忠 小原千里

西岩手山では1998年のマグマか貫入に伴い1999年3月から噴気活動が活発化した。噴気
活動は火山性地震・微動と地殻変動を伴い、2000年にピークに達した。断層に沿う200個以上の
噴気孔と地表に到達した開口き裂は、火山性地殻変動で東西性断層が開口したことを示している。

 1、はじめに

 岩手山は1998年のマグマ貫入の約1年後の1999年3月から、西岩手山で噴気活動と植物の枯死などの表面現象が顕著化し始めた。噴気活動の場は、活発な噴気がある大地獄谷から黒倉山山頂、そして黒倉山〜姥倉山稜線にいたる東西約2.3km、南北約0.75kmの範囲である。また2000年春には、積雪下の火山ガスの濃集で生じたと見られる笹の枯死域が大松倉火口縁や三ツ石山付近までの東西7km以上の範囲で出現した。岩手山のこのような広域の噴気活動は世界的にも例がない現象とされている。
 奮起活動が活発化し始めた1999年は、岩手山西側でマグニチュード3.6を含む有感地震がしばしば発生して1998年の活動に引き続く第2の活動期と言える時期であり(図1)、11月12日には、”振り切れ微動”が発生してあわや噴火かと緊張感が走った時期でもある。その後も噴気域の南側(姥倉山南方域)浅部で単色地震を含む火山性地震が観測され、噴気域を挟む南北山麓間の距離の伸長と、噴気が強い黒倉山付近で局所的地殻変動が観測されている。このように西岩手山の噴気活動は、火山性地震・微動と地殻変動を伴う活動である。
 噴気活動の観測と噴気域の調査は、火山防災上においても極めて重要なものである。噴気域の調査では西岩手山に多くの正断層が存在し、東西性の断層が火山性地殻変動で開口したことが明らかになった。開口した断層は水蒸気が上昇する通路を提供し、多くの噴気孔を直線的に配列させている。
 本論では1999年以降の噴気活動の推移と、開口した断層と噴気活動の関係を論じる。

図1 岩手山北西山麓(松川地点)で観測された1日の地震活動回数と黒倉山山頂噴気の強さの推移。岩手山の火山性地震は1998年2月中旬から増加し、4月に285回を記録、6月下旬から7月上旬に100回以上記録する日が続いた。その後、地震回数は減少し、1998年9月3日岩手県内陸北部地震(M6.1)が発生した。西岩手山の表面現象は1999年3月から現れ、黒倉山山頂の噴気は同年5月末以降急激に強くなったが、この時期は有感地震がしばしば発生する第2の活動期である。黒倉山山頂噴気は日中の最大ランクを示す。

 
2、噴気活動の推移

 1999年3月から始まった西岩手山の噴気活動は、噴気地点と植物の枯死域の拡大状況、ならびに噴気量の変化から4期に区分される。図2に4地点(域)の噴気の強さの推移を示す。
 (1)「表面現象出現期」(1999年3月〜4月):
 大地獄谷主噴気孔で硫黄の付着域が拡大、その西側の西小沢で枯死域(長さ250m〜300m、幅約50m)の出現、大松倉山火口西壁で地熱による早い融雪などの現象が東西約5.5kmの地域で一斉に現われた時期である。
 (2)「急速な笹枯れ・噴気活動拡大期」(1999年5月〜2000年2月頃):
 噴気量が増加し、噴気地点と笹枯れが急速に拡大した時期である。大地獄谷主噴気孔から200m以上の噴気が上がり、1999年11月から噴気は硫黄の微粉末が混じて時々淡黄色を呈するようになった(硫黄微粉末の飛散は2001年1月まで観察された)。西小沢では、1999年8月、枯死域内の白色化した1地点から熱水が沸出し、別の1地点から弱い噴気が出現した。姥倉山稜線北斜面では、東西方向に配列する3列の笹枯帯が生じ、7月から8月、笹枯帯とその周辺の青笹の中から多数の噴気が生じ(写真1)、噴気地点の増加とともに笹枯帯の面積は急速に拡大した。11月4日には笹枯帯全体から噴気が一斉に上がり、高さ10mの「水蒸気の柱」が生じた。黒倉山山頂では、5月29日、それまでにない強い噴気が発生し、その後も噴気は強く発生した。そして、2000年1月19日〜23日、黒倉山山頂の噴気は無風状態で高さ200m以上まで上昇し、ちぎれて雲上になった噴気はさらに高度約400mで達して最大規模の噴気状態になった。
 (3)「噴気地拡大速度低下および簡潔的広域噴気活動期」(2000年2月頃〜2001年7月頃):
 噴気量は多く、噴気と枯死はそれまで発現した地域内をうめるように現われて、周辺への拡大速度は低下した時期である。この時期には周辺の広い範囲からも間欠的に噴気が生じた。
 (4)「噴気地拡大速度低下期」(2001年7月頃〜2002年9月現在):
 噴気量は減少し始め、周辺の広い範囲での間欠的噴気は生じなくなり、周辺への拡大速度も低下した時期である。ただし、姥倉山稜線部では西方姥倉山山頂に向かって、同南斜面では下方に向かって緩やかに枯死域が拡大し続けている。
 以上の西岩手山の1999年以降の噴気と植物の枯死状況の推移は、噴気量の増加と現象、ならびに水蒸気の上昇通路であるき裂(断層)とその周辺岩石の温度上昇によると考えられる。図2で明らかな通り、噴気量の急激な増加で(1)と(2)の変化を生じ、噴気量が多い状態が維持されたことで(3)の変化が生じたと考えられる。(1)と(2)の時期は有感地震がしばしば発生した第2の活動期にあたる(図1)。また、大地獄谷主噴気孔の測定によると、噴気温度は1998年9月以降上昇して2000年9月に149℃の最高温度に達し、火山ガス組成は1999年5月から2000年9月の期間でより高温を示している。噴気量が減少し
始めた(4)の時期、き烈とその周辺岩石の温度がそれまでの噴気活動が上昇したため、枯死域が緩やかに拡大する状態を維持していると考えられる。また、マグマ貫入から約1年遅れて噴気活動が顕在化したことも、最活発化した地下の地熱貯留層から地表に通じるき裂温度の上昇に時間を要したためと推定される。

図2 西岩手山4地点(域)の噴気の日中最大ランク値の推移。前3地点は黒倉山山頂北約7km地点(土井宅2階)、大地獄谷は北西下倉山(監視カメラ画像)から日中目視で観測し、噴気の強さ、噴気活動などによる相対基準で記録。

 
3、断層分布と噴気孔の配列

 図3に西岩手山の断層分布を示す。黒倉山〜姥倉山稜線付近には、東西性、南北性、および北西〜南東性の3系統の正断層がある。東西性断層は断層F0〜F10の11本あり、断層F4、5、7、10は南落ち実在断層、断層F9は北落ち実在断層、他は笹枯帯や噴気孔の配列から推定した断層である。断層F5〜F9を姥倉山断層(群)、断層F10を姥倉山南断層と呼ぶ。姥倉山断層は断層地形が明瞭で、今回「空中レーザー測量図」(縮尺1/2500)によって姥倉山稜線部から黒倉山南腹を通り西小沢に達する東西1.4kmの断層であることが判明した。南北性断層と北西-南東性断層は、ともに連続性が悪く、短い断層である。
 西岩手山の噴気は、地表面(土壌表面)全体からしみ出すように噴気する噴気地と、直径数10cmから1mで深さが1m程の穴から噴気する噴気孔から生じている。また、10cm以上窪んだ凹地から噴気する噴気凹地も生じている。黒倉山西斜面から黒倉山-姥倉山稜線には地温上昇で植生が破壊された裸地が分布する。この裸地とその周辺に生じた噴気地ならびに現在200個以上確認された噴気孔は、直線状の明瞭な配列を示す。図3の通り、これらのほとんどは東西性断層に、一部は南北性断層上に配列する。西小沢では姥倉山断層に沿って3つの噴気地と2つの熱水湧出口(2001年9月現在1つは湧出停止)が生じている。

写真1 姥倉山北斜面で発生した噴気群、写真中央左の「水蒸気のカーテン」状の噴気は断層F1に沿う噴気。写真上部で直線配列する噴気は断層F3に沿う噴気。1999年11月10日岩手山麓から盛岡タイムス社飯岡昭一氏撮影

図3 西岩手山の断層と表面現象の分布。断層に沿って噴気孔、噴気地、熱水湧出口が配列し、笹枯れと裸地化が進んでいる。本図は空中写真編集図より作成

 
4、東西性断層の開口モデル

 図4に姥倉山稜線の登山道で観察された開口き裂と噴気凹地の関係を示す。図4にはこの地点にはないが噴気孔を合わせて図示している。観察された露頭では山体構成物を土壌、水蒸気噴火堆積物、泥炭、火山灰層からなる厚さ60cm以上の被覆層が覆い、東西性の開口き裂がこの被覆層を切って地表に到達している。き裂は地表面でも追跡でき、その2m延長上に噴気凹地がある。き裂はここでは変位を伴わない。き裂の開口幅はやや膨縮するが5mm程度であり、き裂上方からの土砂で充填されている部分が多い。地表下20cm程より深い部分のき裂とその周辺にはき裂を通して移動した灰色粘土が分布している。
 この露頭の産状から以下の考察が可能である。
 4-1)姥倉山稜線付近の噴気孔の孔壁では、図4と類似の被覆層の層序が確認されることから、噴気孔は被覆層に孔が開いたものであることがわかる。しかし、観察した全ての噴気孔において孔の周囲に噴出物が認められない。このことは噴気孔にあった土砂が地下に流出したことを示唆するが、図4の灰色粘土は、開口き裂を通して土砂移動が生じたことを裏付けている。土砂の地下流出により噴気凹地が生じ、さらに噴気孔へと成長するのであろう。
 4-2)山体構成物が露出する地点では、噴気は断層または節理から噴出している。姥倉山稜線の裸地では幅5mm以上開口したき裂(図4のUB2)から、西岩手カルデラの断崖では幅約10cm(KU2)、黒倉山山頂の裸地では幅約12cm開口したき裂(KU1)から噴気するのがそれぞれ観察されている。これらのき裂はいずれも東西性で開口部が1mから数mの長さで続き、開口幅は姥倉山側より黒倉山側で大きい。これらの開口き裂は東西性の断層上に位置することが多く、東西性の断層自体が開口したことを示している。これは東西性断層に沿ってほとんどの噴出孔が配列していることと調和している。
 4-3)図4の開口き裂は、十和田a火山灰(AD915年降灰)を切って地表に到達している。このことはき裂の開口が915年以降の極く最近の有史時代かまたは今回の火山活動で生じたことを示唆する。東西の岩手山は915年以降に火山灰を活発に噴出する第4活動期に入ったが、断層もこの時期に開口している。また、黒倉山山頂から西側に広がる地熱裸地から流出した土砂が十和田a火山灰および土壌を覆い、裸地の拡大が915年以降に生じたことを示すことも、第4活動期に噴気活動が活発したことを示唆している。一方、GPS観測によると、噴気域を挟む南北山麓間の距離は、マグマが貫入した1998年から2000年んお間に約12cm伸長し、東西性断層が開口したと考えても矛盾しない。また、黒倉山から犬倉山の地下浅部で発生した火山性地震のメカニズム解の多くは横ずれ断層型で、震央分布とほぼ並行する東西方向の節面をとれば右横ずれ断層型となり、東西性地震の存在と開口は、マグマ貫入による地殻変動の一部として生じ、水蒸気の上昇通路を提供して噴気活動を活発化させたと考えられる。

図4 地表に達する開口き裂と噴気の関係。この露頭は姥倉山稜線登山道で観察される。

 
5、おわりに

 本論の結論をまとめると次の通りである。
 5-1)西岩手山の噴気活動は、マグマ貫入から約1年後の1999年3月から始まり2000年1月〜2月頃ピークに達して高レベルを維持した後、2001年7月頃から噴気の弱い日が増加した。噴気と植物の枯死状況の推移は、噴気量の増加と減少、ならびにき裂およびその周辺岩石の温度上昇に起因すると考えられる。
 5-2)噴気活動は黒倉山〜姥倉山稜線付近にある東西性断層と一部は南北性断層に沿って拡大した。東西性断層の開口幅は5mm〜12cmで、開口き裂は地表に到達した。水蒸気は開口した断層を通して地表に達し、被覆層土砂の地下流出により噴気凹地は噴気孔へと成長した。
 5-3)開口き裂は十和田a火山灰(AD915年降灰)を切って地表に到達しており、東西の岩手山の火山活動が活発化した第4活動期にマグマ貫入に伴う地殻変動の一部として東西性断層が開口した。
 西岩手山の1999年以降の噴気活動は、915年以降の最近の有史時代に生じた噴気活動と活動様式が一致しることが指摘されている。西岩手山で発生する広域の噴気活動と大地獄谷で発生する水蒸気噴火との関係の解明は今後の重要な課題である。

 大地獄谷監視カメラの映像を提供された(株)テレビ岩手、空中レーザー測量図を提供された国土交通省岩手工事事務所、研究支援を頂いている岩手県立大学(代表者:首藤伸夫教授)と(財)岩手県学術研究振興財団に感謝します。

参考文献

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